車人形とは
車人形は「ろくろ車」という、前に二個,後ろに一個の車輪がついた箱形の車に腰掛けて、一人の人形遣いが一体の人形を繰る、特殊な一人遣いの人形芝居です。
江戸時代の終わり頃、現在の埼玉県飯能市に生まれた山岸柳吉(初代西川古柳)が考案し、その後,
近郊の神楽師(神事芸能を専業とする人)を中心に分布し,農山村や八王子織物の生産に関わる人の娯楽として親しまれてきました。
ろくろ車の発明は,それまでにあった江戸系の三人遣いの人形芝居を合理化したもので、少人数の座員で簡易な舞台での公演を可能にしました。また、人形の足が直接舞台を踏むことが出来るので,力強い演技やリズミカルでテンポの速い演目を行うことも可能です。舞台を選ばないことから、他の芸能との共演も可能で,演出の幅が広いのも特徴です。
現在は,八王子市の西川古柳座のほかに、埼玉県三芳町の竹間沢、東京都西多摩郡奥多摩町の川野に車人形は伝えられています。
西川古柳座
西川古柳座の前身は,瀬沼時太郎(二代目西川古柳)が、十八、九歳の頃,初代西川古柳に弟子入りしたことから始まります。大正末から昭和初期にかけて、三田村鳶魚、平音次郎、河竹繁俊らの支援を受けました。
はじめは、「西川連中」という名称を使って興行していたようですが,昭和十三年の時太郎の記録では既に「八王子車人形」の呼称を使っています。古柳座の芸能は,初代西川古柳や、江戸の最後の人形遣い吉田冠十郎、文楽の吉田文昇らの指導を受けています。さらに、伝統的な車人形の操法を基礎として、新鮮な工夫を重ね,昭和五十六年には乙女文楽の技法を取り入れた「新車人形」を考案しました。また、技法のみならず、首や自由民権関係の衣装を始め,豊富な用具を多数保有しています。さらに古柳座独自の用具なども考案して新作の上演も可能にしています。
こうした様々な工夫を凝らし,伝統的な人形芝居を伝承するとともに,西川古柳座は日本各地、さらに諸外国にまで、車人形の技法を通じて、地域文化,日本文化のあり方を将来に示しています。